デスクトップTCP/IPの歴史


目次

はじめに
独自のネットワーク・プロトコル
デスクトップTCP/IPの登場
Windows用TCP/IP
TCP/IPの安定性

一つ前へ


はじめに

 かつては研究機関や大学でしか利用されていなかったTCP/IPは、いまや世界中に広がっており、確固とした地位を得ている。1980年代半ばに登場した商用のPC向けネットワーク製品では、独自プロトコルによる相互接続を推進していた。これらの競合製品は市場でのシェアを伸ばしたり、市場そのものを拡大しようと張り合った。ときには、手強い競争相手(NovellのNetWare)に立ち向かうためみ、短期間ながらいくつかの主要ベンダーが協力することもあった(たとえば、Microsoft、IBM、Hewlett-Packard、AT&TがLAN Manager/LAN Serverで協力した)。しかし、これらの独自プロトコルでは、TCP/IP やインターネットが提供する全世界的な接続には対抗できなかった。そこで、打ち負かせないなら合流しようということになった。こうしてUNIXのネットワーク機能と位置づけられていたTCP/IPは、現在はPC用としてもその地位を確立している。

独自のネットワーク・プロトコル

 マイコン発展の初期(Z80マシンやCP/Mの時代)にあたる当時、ネットワークはUNIXやVAX/VMS、IBMメインフレーム、その他のミニコンシステムといった大型マシン専用のものであった。デスクトップ・マシンでこれらの大規模システムと実際に通信すると、まるでシリアル回線で接続されたダム端末をエミュレートしているかのような遅さだった。通常、デスクトップとほかのコンピュータ間のファイル転送には、Ward Christensen が開発したXMODEMプロトコルや、のちにColumbia大学で開発されたKERMITプロトコルのような簡単なシリアル回線を前提としたプロトコルが使われた。64KBのメモリ空間でネットワークを扱うには限界があった。
 1981年にIBM-PCが登場し、まもなく大容量(5MB)のハードディスクを搭載したPC-XTが登場した。1983年までには、いくつかの企業がディスクトップPCと大規模システムを相互接続するネットワーク・ハードウェアおよびソフトウェア製品を提供し始めた。
 1980年代前半、NovellはNetware製品によってデスクトップのネットワーク分野で成功した。NetWareと競合するネットワーク・ソフトウェアを出しているほかの企業(IBM、Microsoft、Banyanなど)は少数派になった。多種多様な選択肢があったデスクトップのネットワーク・ハードウェアは、ARCNET、Ethernet、IBMのTokenRingカード、と絞られていった。
 これと同時期にAppleのネットワーク・ソフトウェアが登場し、MacOSに組み込まれた。AppleTalkソフトウェアは、Ethernet(EtherTalk)とTokenRing(TokenTalk)に加え、もともとはレーザプリンタの接続用であったApple独自の高速シリアル・インターフェース(LocalTalk)にも対応していた。これらのデスクトップ・ソフトウェア製品では、たとえハードウェアがEthernetであってもすべて独自のネットワーク・プロトコルが使われていた。

デスクトップTCP/IPの登場

 デスクトップのTCP/IPは、UNIXシステムとの通信手段として大学における研究成果というかたちでいくつかの企業からリリースされた(表1)。
表1 初期のデスクトップTCP/IP製品
製品/企業名説明
PC/IPMITで1983年に開発が始まった、無料で入手できるTCP/IPスタックと2〜3のアプリケーション。ソースコードはいくつかの商用製品のもとになった
WATTCPカナダWaterloo大学で開発された、無料で入手できるTCP/IPスタックとアプリケーション群
KA9QPhil Karnがもともとパケット無線機用に開発したTCP/IPスタックで、商用利用しない限り自由に入手できた。のちにライセンス化され、スタック組込み型システムで使われた
FTP Software1986年に元MITの学生(PC/IPの開発者を含む)により設立され、デスクトップの商用TCP/IPソフトウェアを販売
Sun Microsystems1986年に、デスクトップで初めてNFSを実装したPCNFSの最初のバージョンをリリース
WollongongVAX/VMSやUNIXのTCP/IPを提供していたシリコンバレーの企業で、PC/IPをもとにしたデスクトップTCP/IPを提供
B&W(Beame and Whiteside)1986年カナダ人学生により設立され、デスクトップTCP/IPスタックを販売
ExcelanPC EthernetカードのROMにTCP/IPスタックを組込んだネットワークハードウェア・ベンダー。のちにNovellに買収され、そのTCP/IP技術はLAN Workplace製品の核となった</TR>

1980年代前半、学内で蓄積された技術を活かして、MITでMS-DOS用の最初のTCP/IPスタックの1つが開発された。TCP/IPコミュニティの古参メンバーであるDavid Clark教授の教え子たちが、研究を目的としてPC/IPを開発したのである。MITで開発されたPC/IPスタックといくつかの簡単なネットワーク・アプリケーションのソースコードは広く配布され、ほかの多くのデスクトップTCP/IPが開発されるきっかけとなった。3ComなどからPC用Ethernetカードが容易に入手できるようになると、独自のデスクトップTCP/IPソフトウェアの開発が並行して始められた。
 MITのPC/IPスタックの限界は、単一の接続(1つのソケット)しかできない点だった。これは、いくつかのTCP/IPネットワーク・アプリケーション(Telnetなど)の実装には適していた。しかし、FTPでは2つのコネクション(制御チャネルとデータ転送用)が必要だった。
 1986年 John Romkey(PC/IPの開発者の1人)をはじめとする何人かのMITの学生たちはFTP Software(1998年6月にNetManageに買収された)を設立し、DOS用のTCP/IPスタックであるPCTCPの販売を開始した、このスタックでは複数のコネクションを扱うことができたので、ようやくFTPが使えるようになった。
 また、FTP Softwareはパケットドライバの仕様を開発した。これはプロトコルに依存しない標準的なネットワーク・デバイスドライバがMS-DOSで採用されるのを予測してのことだった。パケットドライバはAUTOEXEC.BATにより起動時にロードされ、プロトコルに依存しないかたちでネットワークカード・ドライバを提供するDOSのTSR(Terminate and Stay Resident)プログラムである。
 1980年代半ば、Sun Microsystemsは、TCP/IPとNFSによりコンピュータをネットワーク接続するという独自のビジョンを展開していた。1985年、SunOSに搭載されたNFSの最初のバージョンがリリースされた。自社のワークステーションとの通信が簡単にできるように、Sunがデスクトップ用NFSクライアントとTCP/IPスタックの提供を始めたのはごく自然なことだった。1986年6月にリリースされたデスクトップ用PCNFSソフトウェアの最初のバージョンは、TCP/IPとNFSの仕様をもとに直接アセンブリ言語で書かれていた。主任設計者の1人であったGeoff Arnoldは1985年6月に入社し、翌年の1月にはSunが後援した第2回NFS Connect-A-Thonでソフトウェアのデモをおこなった。TCP/IPスタックとPCNFSのファイルシステム・ドライバは密接に連繋している。当時、MS-DOSデバイスドライバの64KBのメモリ制限内に収まるようなNFS製品を開発するのは困難だった。SunはつねにPCNFSクライアント・ソフトウェアに主眼をおいていたものの、もととなったPC/IPのコードから生まれた一般的なネットワーク・アプリケーション(TelnetやFTPクライアントなど)もいくつか組み込んだ。
 初期のデスクトップTCP/IPベンダーは例外なく、市場に無数に出回っていたEthernetカードのデバイスドライバを書くのに悪戦苦闘していた。業界のトップは3Comであったが、Novell(Eagleブランドで販売されることもある)も海外で製造された一連のEthernetカードを販売した。これらのNE1000(とのちのNE2000)カードもかなり普及した。Western Digitalはこの市場では後発に属するのが、同社のメモリマップEthernetカードは安くて高性能なことからすぐに人気を得た。最終的に、Western DigitalはSMC(Standard Microsystems Corp.)にPCネットワーク・カード部門を売り渡した。パケットドライバは、デスクトップTCP/IPベンダーがネットワーク・カードに対応する際の事実上の標準となった。これらのベンダーは、のちにNovellが開発したODI(Open Datalink Interface)と3Com、Microsoft、Intelが協同開発したNDIS(Network Device Interface Specification)への対応を追加することになる。
 Excelanも初期のデスクトップTCP/IPベンダーの1つで、PDP-11用のネットワーク・ハードウェアの製作から出発した。1980年代後半、ExcelanはEthernetカードのROMに埋め込んだデスクトップ用TCP/IPスタックの提供を始めた。これを使うと、メモリの限られたデスクトップPCでTCP/IPソフトウェアを動かす場合に、メモリ使用量を最小限に抑えることができた。しかし同時に、TCP/IPソフトウェアのアップグレードは高くつくうえにいくぶん厄介な作業(ネットワーク・カードのすべてのROMを交換する)もともなった。Excelanは最終的にTCP/IPの専門知識も含めて経営をNovellに譲渡したが、同社のネットワーク・ソフトウェアはNetware用のTCP/IPソフトウェア製品(LAN Workplace)のもとになった。
 Machintoshに関しては、1980年代後半にAppleがTCP/IPスタックと企業向けの開発者用ツールキットの提供を始めた。MacTCPの実行時ライセンスは安かった(1部20ドル以下)。この標準化の努力が功を奏し、多くの高品質なTCP/IPアプリケーションが大学で開発され、自由に入手できた。最終的に、MacOSに組み込まれた。その結果、Machintosh用の商品を提供したベンダーはわずかであった。
 1980年代後半までに、こうした小さな企業はデスクトップTCP/IP市場の拡大と歩調を合わせて発展した。さまざまな大学や公共機関、民間企業では anonymouse FTP サーバが設置され、そのほとんどが UNIX や VAX/VMS 上で運用された。これらのFTPサーバは、誰もが自由に使えるように公開されたソフトウェア、シェアウェア、無料でダウンロードできる情報などがある巨大なアーカイブだった。USENET ニュースでは、それまで提供されていたコンピュータ研究のコミュニティ以外の情報が激増した。
 水面下では、つねに相互接続性と商業的優位性とのあいだで緊迫した関係が続いていた。1980年代後半、TCP/IP環境で NetBIOS を使えるようにするため、DoD(Department od Defense)が初めて協力を要請した。デスクトップTCP/IPベンダー数社が協力して、NetBIOS over TCP/IPが標準化された(RFC1000[1]〜1001[2]で文書化された)。


 
Windows用TCP/IP

 MicrosiftのWindows 3.0が登場したとき、昔からのデスクトップTCP/IPベンダーの対応は鈍く、ソフトウェア・アプリケーションと簡単に使えるダイヤルアップTCP/IPのWindows版はなかなか出なかった。このため市場にぽっかり穴があいたが、DistinctやFrontier Technologies、NetManage、Spry(のちにCompuServeに買収される)といった新規参入企業がすかさずそれを埋めた。これらのベンダーはWindows市場に的を絞り、MS-DOSやOS/2の市場には手を出さなかった。
 デスクトップTCP/IPの市場は、1990年代初期のGopher クライアント/サーバの登場とともに爆発的に広がった。その後まもなく、Windows/Machintosh用のWebブラウザ(Mosaic)と、UNIX上で動作するフリーのWebサーバが続けて登場した。電子メールも、安価なデスクトップTCP/IP市場の活性化にひと役買った。インターネットは、世界中から電子メールにアクセスできるインフラストラクチャとなった。
 このようにデスクトップTCP/IPが成長した要因の1つとして、Winsock(Windows Socket)標準の開発が挙げられる。1991年のInteropでGeoff Arnold(Sun)とMartin Hall(JSB Software Technologies)が交わした会話に端を発するWinSock は、WindowsでTCP/IPネットワーク・アプリケーションを書くために使われるAPI、ヘッダファイル、DLL(Dynamic Link Library)を標準化している。Winsockの登場以前、各企業はアプリケーションを書くためのツールキットと APIを独自に用意したので、ネットワーク・アプリケーションは特定のベンダーのTCP/IPスタックでしか動かなかった。WinSockのおもな開発者は、Sun、JSB、FTP Software、Microsoft から出ていたが、ほかにも電子メールでの討論やメーリングリストを通じて多くの企業が参加した。WinSock1.1 は、1993年1月に正式にリリースされた。
 まもなく、利益を生むデスクトップTCP/IPの市場に、別のネットワーク・アプリケーションを販売する企業が参入してきた。UNIXやVAX/VMSに接続する端末エミュレーション・ソフトウェア、またはIBMメインフレームとミニコンの接続用ソフトウェアを昔から提供してきたベンダーである。これらの企業には、Attachmate、Century Software、Esker、NCD(Network Computing Devices)、Presoft、Quarterdeck、Softronics、Wall Data、WRQ などが含まれていた。デスクトップTCP/IPベンダーがもっとも利益を上げたのは、1990年代のWindows95が登場する直前までだった。その数年間、デスクトップTCP/IPの販売は急激な伸びを続け、新しい企業が市場に参入する余地があった。
 1994年後半、MicrosoftはついねWfW(Windows for Workgroups)ユーザ向けにTCP/IPスタックを出した。このソフトウェアはMicrosoftのダウンロード・サイトから無料で入手できたが、WfW製品には添付されなかった。当時のMIcrosoftのTP/IPスタックにはダイアルアップには対応していないなどの欠点があったため、デスクトップTCP/IPベンダーにはさしたる影響は与えなかった。同様の動きはIBMでもみられた。IBMはOS/2用TCP/IPをダウンロードできるようにし、のちにOS/2Warp に組み込んだ。
 1995年の晩夏、Windows95 の登場によってデスクトップTCP/IP市場は根底から変わった。1993年に登場して以来、WindowsNT にはTCP/IPスタックと2〜3の不完全なTCP/IPアプリケーションが付属していた。しかし、MS-DOS/Windows 3.X にくらべると、最初の数年間のWindowsNT の販売および導入数はわずかなものだった。Windows95 が登場して、この主流となるデスクトップOSにTCP/IPが組み込まれた時点ですべてが変わった。Windows95はPPP(Point to Point Protocol)にも対応しており、ダイアルアップTCP/IPクライアントとしての機能を十分に備えていた。
 MS-DOS/Windows3.11 の組み合わせは、1996年に入ってもまだWindows OS の売り上げ全体の約半分を占めていたものの、衰退の兆しがみえていた。デスクトップTCP/IPスタックの市場は、Microsoftが32ビットのWindowsOSにTCP/IPスタックを組み込んだために消滅したようだ。
 オーストラリアで開発されたフリーウェアの Samba サーバの登場により、デスクトップにPCNFSソフトウェアを購入してインストールしなくても、WindowsからUNIXシステム上のファイルにアクセスできるようになった。これらのアプリケーションでは、SMB(Server Message Block)プロトコルとNetBIOS over TCP/IP が使われている。いづれもWindows95やWindowsNTでの資源共有に用いられるプロトコルである。

TCP/IPの安定性
 現在、デスクトップにおけるTCP/IPはOSに組み込まれ、ごくありふれたものとなっている。ユーザにとっては喜ばしいことだが、かつてTCP/IPを提供していたベンダーや、成長を遂げたデスクトップ業界では問題が生じている。Machintoshの市場で競い合っていたTCP/IPベンダーはほとんど見当たらない。いくつかのPC用TCP/IPベンダーは買収され、業務縮小を余儀なくされたところもある。成功を続けているのは、NFSやXウィンドウ、メインフレームの端末エミュレーション、データベース接続といった、まだ需要のあるTCP/IPアプリケーションを有する少数の企業に限られる。
 この10年間、核となるプロトコルが安定していたことがTCP/IPの強みだった。しかし、Microsoftの流儀では、伝統的に新しいOSに更新されるたびにプロトコルが変わっている。そのため、Microsoftが使っているSMBプロトコルには12種類の異なるバージョンが存在し、相互接続が損なわれている。絶えず仕様を変えるというMicrosoftの考え方は、インターネットでは通用しない。
 確固たる標準がすでに存在していると、次のプロトコルではよけいなことが盛り込まれるケースが多い。その一例として、ダイヤルアップ・ユーザ用のPPPの開発が挙げられる。ダイヤルアップ接続で使われれるSLIP(Serial Line Internet Protocol)は1984年に登場したが、1ページ以下のソースコードで実装できるくらい単純だった。これに対し、PPPの標準化にはかなりの期間を要した(最終的にRFCが公開されたのは1993年である)。WInSock2.0 の仕様も同様の展開をみせており、IPv6(IP Version 6)はいまだに拡張されている。

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